スタニスワフ・ウラム

戦時中に原爆開発にも携わっていた

スタニスワフ・ウラムは、ポーランド出身でユダヤ人の家庭に生まれました。

アメリカのプリンストン高等研究所やハーバード大学で数学を学び、その後はいったんポーランドに帰国しています。
しかし、第二次世界大戦が勃発する直前に再び渡米しました。

数学の分野で多大な活躍をしていたことで知られていて、その専門知識を買われ、第二次世界大戦中には、原爆開発にも携わっていたのです。
さらに第二次世界大戦が終わった後も、水爆開発に携わりました。アメリカの軍事力を陰で支えていた人物と言えます。

その後はコロラド大学で教授として研究を続けていました。

核兵器の開発という形ですが、科学技術の進歩に大きく関わって来たことから、いずれ人間の生活が大きく変化するということも悟っていたのです。
スタニスワフ・ウラムが亡くなったのは1984年ですが、現に戦時中からその辺りの時期まで、人々の暮らしは大きく変化しました。

シンギュラリティについて議論する場合においても、戦後の科学技術の進歩が引き合いに出されることがよくあります。

 

シンギュラリティに近いようなことを言及

スタニスワフ・ウラムが亡くなった1984年時点では、あまり高度なコンピュータはまだありませんでした。
研究機関などで、巨大なコンピュータを保有していましたが、一般家庭でパソコンを持っている人はほとんどいない状況です。

企業などでも、紙媒体の書類を使って事務仕事をしていた時代です。

そんな中でも、スタニスワフ・ウラムはジョン・フォン・ノイマンとの会話の中で、シンギュラリティに近いようなことを言及していました。

かなり意味深な内容の会話ですが、要約するとコンピュータが進歩することで、人間の生活が大きく変わり、以前の生活には戻れなくなる言った内容です。

このことは、スタニスワフ・ウラムが生きていた時代にも少しずつ起こっていました。1980年代に戦前のような暮らしをしていた人はほとんどいません。

そして、現在においても昔のような生活に戻ることはないでしょう。
このことから、将来的にシンギュラリティが起こり、人工知能が人間を超えたら、その後はずっと人工知能が技術面で人間を凌駕し続けることになります。